清少納言(せいしょうなごん)


966年頃~ 1025年頃

平安時代の女性作家  代表作は 枕草子(まくらのそうし)
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966年頃生まれる。

有名な歌人である清原元輔(きよはらの もとすけ)の娘で、おじいさんの清原深養父(きよはらの

ふかやぶ)も歌人という環境の下で、かなり高い教育を受けたと見られ、当時女性では珍しく漢

文が読めた。

「清少納言」は女房名で、 本名は清原 諾子(きよはら なぎこ)と言われるが定かではない。

ちなみに 女房名の女房とは、貴族の子供の教育係で、他に紫式部らがいる。


981年頃、15歳で橘則光(たちばな の のりみつ)と結婚し翌年 橘則長(たちばなののりなが)

を出産。

しかし結婚約10年で離婚。


991年ごろ(約25歳)藤原棟世(ふじわらのむねよ)と再婚し、子馬命婦(こまのみょうぶ)を出産。

藤原棟世とは親子程歳が離れていたそうである。

子馬命婦も後に歌人として知られる様になる。



993年(27歳)清少納言は一条天皇の妻である定子(ていし)の女房になります。



定子は関白、藤原道隆(ふじわらのみちたか)の娘で、この時代は貴族(主に藤原氏)が自分の

娘を天皇に嫁がせる為、教養を身に着けさせようと女房を雇っていました。


定子はすでに一条天皇の妻でしたが、さらに皇后にふさわしい女性になるように、父である道隆

が清少納言に教育係を依頼します。



1000年頃、仕えていた定子が難産の末亡くなり宮中を去ります。




随筆、枕草子(まくらのそうし)」を1001年頃発表。


日本初の読み物(随筆)として有名であるが、書いた期間、発表された年には不明

な点も多い。

約300程度の長短の文章からなっており、内容はおおまかに2つに分かれ

①四季や自然の移り変わり、日常の様子で感じた事 

②定子の女房時代に、宮中での様子や出来事。

それらを書き綴った今で言うエッセイ集である。





1025年頃亡くなったと言われるが亡くなった場所等も不明。




ラジオドラマ  清少納言「枕草子」