古墳時代2



日本に仏教が伝わる。


 538年頃(552年説もあり)朝鮮半島の百済(くだら)の聖明王が欽明天皇(きんめいてんのう)に釈

迦像と経典を献上送った。

これが日本に仏教が伝わったきかっけで百済からの渡来人(とらいじん)・帰化人が仏教を広めた

とも言われている。


渡来人(とらいじん)が日本に持ち込んだもの


稲作(米)、土木や建築、鉄製品、絹、須恵器、漢字と仏教・儒教等

その中でも須恵器はテストに出ます!!






須恵器とはこんな感じ
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日本には昔から神様が信じられていました。(神道)

それで仏教が入って来たもんで、ひと悶着おきます。


欽明天皇はもらった仏像を祭るか悩み、家臣達に相談。



中国、朝鮮半島との繋がりがあった蘇我稲目(そがのいなめ)は仏教の容認派。


日本の古くからの神を信仰していた物部尾輿(もののべおこし)は非容認派で

2人は激しく対立。



天皇からとりあえず預かった仏像を蘇我稲目は自分の家を寺にしてまつる。


やがて日本中に伝染病が流行り、多くの人が死ぬと、 「外来の仏をまつったので日本の神が

怒った」と物部尾輿が天皇に言い、稲目の寺を焼き払い、仏像を川にすてます。 


こうして蘇我氏と物部氏の争いが始まり、子まで続く事になる。 


蘇我稲目の子=蘇我馬子(そがのうまこ)

物部尾輿の子=物部守屋(もののべもりや)


どうしても仏教を広めたい馬子は、皇族でまだ14歳の厩戸皇子(うまやどのおうじ)

と手を組み物部氏をほろぼした。

その厩戸皇子とはのちの

そう、歴史的スーパースター聖徳太子です。


最大のライバルである物部氏がいなくなった蘇我氏は32代崇峻天皇(すしゅんてんのう)を影で

操り、権力を欲しいがままにしていた。


やがて崇峻天皇を暗殺した後、自分の姪にあたり蘇我の血を引く推古天皇(すいこてんのう)

に皇位を継がせます。


推古天皇はその際、条件として聖徳太子を摂政(せっしょう)にするように命じます。


摂政とは?

天皇が幼かったり、女性だった場合、代わりに政治を行う。



摂政になった聖徳太子は天皇中心の平和な社会を目指します。