弥生時代2(やよいじだい)

邪馬台国(やまたいこく)の誕生

大和政権(やまとせいけん)の誕生

紀元前0世紀から3世紀仲頃迄(諸説有)



米作りが始まると、人々は集団(むら)を形成するようになり、その規模も大きなってくると、まだ現在

にまで続く人類の悲しい本能ともでも言うべき事態が起こる。

 
そう、

争い、戦争である。



争いが起きた主な理由

※ 食料(※)の奪い合い

※ 田んぼに適した土地の奪い合い

※ 鉄(農具)の奪い合い



争いに勝った「むら」は負けた「むら」を支配して行き、やがて小さな「くに」が出来始めます。



ワンポイント知識 

この時代の集団を表わすとき、「むら」「くに」と書きますが、漢字で村、国とはなぜ書かないのか?

単純に、現在の自治体の名称である「村」 と区別する為で、当時はもちろん集団に名前等無い

のですから、後付けで「現在の村に近い小さな集団だから”むら”でいいか 」となったのでしょう。

しかし、国は後に出てくる「 邪馬台国」は漢字です。

よって 「 邪馬台国」以前の国は「くに」表記でいいのではないでしょうか?

 この時代がテストにでたら、くに、クニ、むら、ムラ、とひらがなかカタカナ表記で書きましょう。





それから200年ほど「くに」同士の争いが続いたが、邪馬台国の女王”卑弥呼”が周辺の30ほどの

”くに”を取りまとめ、リーダーとなった。



出てきました邪馬台国

そして歴史上最初に出てくる超有名人 女王卑弥呼



みなさんもご存じこの”邪馬台国”と”卑弥呼”ですが、日本独自の文献は残っておらず、(当時

文字すらも無かった?)殆ど中国に残っている文献(有名なのは魏志倭人伝)の表記と、日本

で発掘された遺跡との照らし合わせでの推測でしかその存在は語られて無いのです。


何分遠い昔の事ですから仕方ないと言えば仕方ないが、、、、。



タイムマシンがあれば真っ先に確認してみたい事項です。


なぜその邪馬台国の女王”卑弥呼”が中国の文献に出てくるのか?と言うと、当時の中国(魏)へ

卑弥呼が使いを送り、当時の皇帝から「親魏倭王」(しんぎわおう)の称号と、金印、銅鏡等を

プレゼントされている記載があるからです。



「親魏倭王」(しんぎわおう)とは?

「親魏(しんぎ)」

魏(ぎ・当時の中国の呼び方)に親しみをもっている。

「倭王(わおう)」

魏は日本の事を(邪馬台国の事)を倭(わ)と呼んでいたので、日本の王の事。

簡単に言うと「あなたは魏に親しみを持っている倭の国の王だよ」と認めた証。


しかし、この時代通訳もいないのに、どうやってコミュニケーションをとってたのでしょうか?



邪馬台国NOW


ご存知の通りこの邪馬台国があった場所は、現在でも特定出来てません。

しかし、一般的に思われているのが九州説では無いでしょうか?(他は近畿説)

よって邪馬台国ゆかりの地なんて無いのですが、邪馬台国の雰囲気に最も近いと言われているのが

佐賀県にある吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)である。

1986年に発掘された時は魏志倭人伝に記された邪馬台国に様子が似ている!!と話題になり

ここが邪馬台国のあった場所、と言う説も出たが、専門家の間ではそれは無いと言う。


現在では国営吉野ヶ里歴史公園として整備され、広大な敷地内に当時の建物等を復元して

「邪馬台国があった時代を体感出来る」施設として人気を集めています。




Yoshinogari-iseki_zenkei

国営吉野ヶ里歴史公園

復元された弥生時代の建物が98棟もあり、当時の暮らしの風景が再現されている。




吉野ヶ里歴史公園

〒842-0035  佐賀県神埼郡吉野ヶ里町大字田手1843
営業時間(4月1日~5月31日/9月1日~3月31日)9:00~17:00 
    
     (6月1日~8月31日)         9:00~18:00 

休園日  12月31日、1月の第3月曜日とその翌日


入園料 大人(15歳以上) 420円  小人(小・中学生) 80円
シルバー(65歳以上) 200円  幼児(6歳未満) 無料

アクセス

吉野ヶ里公園駅から徒歩で15分  長崎自動車道東背振ICから車で5分

公園概要

映像施設、レストラン等がある歴史公園センターを中心とした「入口ゾーン」、「環壕集落ゾーン」、

約20ヘクタールの広場に、さまざまなレクリエーションがある「古代の原ゾーン」の3つのエリアに

加え、弥生時代当時の森を再現した「古代の森ゾーン」が開設。






大和政権の誕生

3世紀後半、 大和や河内(かわち)、今の奈良県を中心とする豪族達が連合を組み、大和政権

が誕生。

そのリーダーは大王(おおきみ)と呼ばれ 皇室の祖先では無いか?とも言われている。

 4世紀中頃には西日本を統一し、4世紀末には朝鮮に進出。


当時の中国は南北朝時代で、朝鮮は高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、百済(くだら)の3国

と伽耶(かや)に分かれていた。

伽耶(かや)は日本(大和政権)が支配していた、と言う説もあるが、韓国の歴史授業では出て

こない地名だそうです。


5世紀の朝鮮半島
History_of_Korea_(Goguryeo)_476_jp

 


動画 


東アジアの国々と大和朝廷

 



邪馬台国と大和政権(大和朝廷)の違い。


邪馬台国が勢力を増して大和政権になった、と言う説もありましたが、まったくの別物、と言う

意見が今では多数です。

大和政権は近畿地方の有力な豪族達によって生まれたので、邪馬台国近が近畿にあったなら

その中に入っていてもおかしくないですね。

どっちにしろ両方とも天皇家のルーツには関わっているのではないでしょうか? 



大和朝廷があった場所 

奈良県の橿原市(かしはらし)にある橿原神宮(かしはらじんぐう)は、初代天皇とされている神武

天皇(じんむてんのう)を祀るために創建された。

初代天皇から第六代孝安天皇迄の伝承地がこの橿原市から隣の御所市(ごせし)に集中して 

おり、この辺りが大和政権の中心地だったとされている。