賤ヶ岳の戦い

天正11年(1583年)信長の正式な後継者を巡って、織田家の重臣柴田勝家と羽柴秀吉(のちの豊

臣秀吉)近江国(現滋賀県長浜市)の賤ヶ岳付近で行われた戦い。


清洲会議(きよすかいぎ)で信長亡き後の継嗣問題及び領地再分配に関する取り決めがあったが、

100%その取り決めに納得しない秀吉&信長の次男 織田信雄VS勝家&信長の三男 織田信孝と

で対立していきます。 


先に柴田軍が先制、羽柴軍5万、柴田郡3万 だったが、その後信孝が挙兵、秀吉は1万5戦の兵

を率いて 信孝のいる大垣へ進む。


勝家は残った3万5戦の秀吉軍に襲い掛かるが、秀吉はまたも驚異的なスピードで大垣から賤ヶ岳

へ引き返す。

これを

美濃大返し

と言う。


羽柴軍5万、柴田郡3万 と圧倒的な強さで秀吉が優位に立つと、勝家は妻お市(信長の妹で浅井長政

の元妻)が待つ 北ノ庄城に籠城。

お市と共に自害した。