川中島の戦い


日甲斐国(現在の山梨県)と越後国(現在の新潟県)との間で、1553年から1564年の間5回に渡っ

て北信濃の支配権を巡って行われた戦い。












 
甲斐国を支配する武田信玄と越後国(の戦国大名である上杉謙信と言う2大戦国ヒーローの対決!!


動画で解かりやすい~川中島の戦い~ 



甲斐の武田信玄は相模の北条氏康、駿河の今川義元と三国同盟を結ぶと、領土拡大の為に

、北の信濃を攻めます。

それに待ったをかけたのが、さらに北、越後の 上杉謙信。

信濃の領土奪還に、手を貸します。 

両軍は 3回ぶつかります。

第一次合戦 1553年  川布施の戦いあるいは更科八幡の戦い、篠ノ井戦い等言われる

第二次合戦 1555年 犀川の戦い

第三次合戦  1557年 上野原の戦い

第四次合戦  1561年 八幡原の戦い(一番大規模、ここのみを川中島の戦い、と言う時もある。

第五次合戦  1564年 塩崎の対陣

この1553年の一次から1564年の五次を総称して「川中島の戦い」と言われる。


第四次では上杉謙信自ら武田軍に乗り込み、大将同士の一騎打ちと言う、戦国上まれにみる

場面があったが結局勝敗は付かず、両軍合わせて死傷者2万7千人と言う、戦国史上最大の

激戦となった。


結局、信濃は甲斐の領土のまま謙信が越後に戻ったので、信玄側の勝利と言るが、甲斐国

No2で信玄の弟である信繁(37歳)と、信玄の右腕 伝説の戦略家、山本勘助(69歳)がこの

戦で亡くなったのは武田軍にとってかなりの痛手となった。



川中島の合戦が行われた場所



赤いポイント一番上が 川中島の戦いが行われた場所

現在は川中島古戦場(八幡原はちまんぱら史跡公園)として整備されている。

その下 東側が川中島合戦で、武田側の拠点として山本勘助が築城した海津城(松代城跡)

西が上杉謙信が陣を敷いた山 妻女山(さいじょざん)

山頂には妻女山展望台があり川中島合戦の舞台を一望出来ます。


善光寺に最も近いホテル。